8.13.2009

坂道ランニング

突然ですが、坂道が好きです。

何より、古くから名前が残っている坂が好き。

そういう坂をみていくと
その当時の様子が想像できる気がするんです。

今日は朝からそんな名坂をたどりながらランニング。

坂って、昔は難所だったらしいんですよ。
そりゃそうですよね。

馬の時代ですから。

多くの坂で、多くの馬がくたばってしまっていた。

江戸まであと少し!


そんなところで、難所が待ち構えている。
そういう場所だから、名前が残っているのです。

そして、そういう坂をつないでいくと
なんだか古い街道だとか、
歴史が見えてくる気がするんです。

それが楽しい。

わたくし、目黒在住なんですが、
目黒も名坂が多い。

今日は
十七が坂→ばくろ坂→なべころ坂→別所坂→茶屋坂
とランニング。

以下、続き






十七が坂→ばくろ坂→なべころ坂→別所坂→茶屋坂





















【十七が坂】(リンク)

宿山と目黒不動尊を結ぶ庚申道の難関がこの坂越えであったという。そのため、この坂道を利用するのはもっぱら若者ばかりで、老人や子どもは坂下から西方へ迂回して藤の庚申で庚申道に合流する回り道を利用したという。

【ばくろ坂】(リンク)
ばくろ坂は、路面はいつも風雨にさらされ、大小の穴をあけていたので、人びとはこの坂を「ばくろ坂」と呼んだのだという。「ばくろ」とは、風雨にさらされ穴のあいた状態を示す、目黒の古い方言だという。

【なべころ坂】(リンク)

昔、鍋が転がるほどの急坂であったことからこの名がつけられたとする説と、「なべごろ」とは赤土が水でやわらかくなった状態を示す、目黒の古い方言であったとする説がある。

【別所坂】(リンク)
かつては江戸の人びとが麻布辺りから行楽の地、目黒に入る近道として重要な交通路であった。また、坂上は富士のながめの良いところで、えぞ・千島の探検で知られた近藤重蔵が文政2年(1819年)、新富士・近藤富士などと呼ばれた築山を造り、目黒元富士とともに江戸名所のひとつとして、行楽客に親しまれていたと言われている。

【茶屋坂】(リンク)

戸の初め、田道橋を渡り三田方面に通ずる坂上の眺望のよいところに、1軒の茶屋があった。
徳川3代将軍家光は、目黒筋遊猟の帰りにしばしばこの茶屋に寄って休息をとっていた。家光は、茶屋の主人彦四郎の素朴な人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたため、この茶屋は「爺々が茶屋」と呼ばれるようになった。ここで出された秋刀魚(さんま)がおいしかったので、目黒の秋刀魚が有名になったとも言われている。




行程、およそ4キロ。
別所坂でダウン!

さすがに坂ばかり走るのは辛い。。。





どうですか?
おもしろくないですか?

興味がある方はぜひリンク先を見てみてください。

そして、あなたのおすすめの坂があれば、
ぜひ教えてください。


連載しようかな、坂シリーズ。

有名な坂マニア、といえば、実はタモリさん
日本坂道学会の副会長(リンク)で、こんな本も出していらっしゃる。




『東京坂道美学入門』(リンク)

正直、おもしろかった。
名著。

...

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